高さ143cmほどの石柱で、「賦測石」(ふばかりいし、ぶばかりいし)とも呼ばれます。
伝承では、この石柱の高さと背の高さの比較によって人頭税が課税されたと伝えられています。
ただし人頭税石を人頭税課税の基準とした歴史的事実と裏付ける記録はなく、他にもいくつかの説があります。
1609年、薩摩藩の琉球侵略により、琉球王国は支配され、重税を課されました。
琉球王府は財政的に困窮し、その対策として1637年から宮古・八重山の両地方(先島)に人頭税を課すことにしました。
人頭税は男女15歳から50歳までを対象に、高さ143cmほどの石柱である人頭税石の高さ以上の背丈になると、税が課せられたと伝えられています。
男は粟、女は宮古上布の納付が義務づけられました。この過酷な重税は明治になっても続きました。
1893年頃に廃止運動がおこり、運動の代表らが宮古島から東京に上り帝国議会への直接請願の結果、1903年になってようやく廃止されました。