(ちりまらとぅゆみやのはか)
15世紀末から16世紀初めにかけて宮古島を支配していた豪族の仲宗根豊見親の三男で、八重山を支配した知利真良豊見親の墓。
宮古独特のミャーカ墓と沖縄本島の横穴式の中間形式を持つ墓で、18世紀頃に子孫が建てたと伝えられています。
近くにある仲宗根豊見親の墓とともに宮古島を代表する石造建築として価値が高く、国の重要文化財に指定されています。