アントマとは側室(後妻)という意味で、仲宗根豊見親を始祖とする忠導氏の側室の墓です。
仲宗根豊見親の墓から奥まった目立たない草木に覆われた場所に建っています。
側室の人は正室の人と同じ墓に入れることができず、側室の人が亡くなった際に埋葬されました。
いつ建造されたか明らかになっていませんが、18世紀から19世紀に整備されてたと考えられています。
墓の様式は岩盤を彫り込み、切石と組み合わせた囲い墓で、入口の通用門にアーチ状の一枚岩をのせてあります。
通用門から墓室への墓庭の中央には、階段につづいてゆるい溝が設けられており、宮古島で他にはない構造です。
質素な造りですが美しい遺跡で、知利真良豊見親の墓、仲宗根豊見親の墓とともに国の有形文化財に指定されています。